おもしろ石川倶楽部
ふるさと石川の隠れたスポットやグルメ、人、話題を紹介しています。この番組ではリスナーの皆さまからの情報を募集しています。あなたがオススメする石川のグルメ、スポット、人物、話題を番組までお寄せください。
<提供:石川県>

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放送時間
土曜 09:55 - 10:00
パーソナリティ
朱彌
Aya
おもしろ石川倶楽部 放送内容一覧
曇天に雷鳴がとどろき、空から冬の使者が舞い降りれば、石川県の冬の始まり。「ぶり起こし」と呼ばれる雷は、寒ブリ到来の合図。ブリは成長につれて名前が変わる出世魚。こちらでは、こぞくら→ふくらぎ→がんど→ぶりと変化します。11月から2月にかけて水揚げされる7kgを超える魚体は「天然能登寒ぶり」として、ブランド化されています。規模の大きな定置網漁が盛んで、100種類以上もの魚介類が水揚げされる能登の宇出津港は、冬になると大型ブリの出荷を誇っています。漁師さんたちの主張---「10kg以上じゃないと本物のブリとは言わん!」を基に、「宇出津港 のと寒ぶり」を打ち出しました。
七尾市には“戦国最強の山城”との呼び声も高い「七尾城」の跡が遺っています。能登の国の守護・畠山氏が16世紀前半に築いたもの。南北およそ2.5km、東西1kmあまり。自然の地形を巧みに利用し、七尾の地名の由来となった七つの尾根筋を中心に、多数の曲輪を連ねた全国でも屈指の規模。眼下に城下町を配置して、能登の政治、文化の拠点としました。麓から本丸跡までは徒歩40分。築城当時の石垣を眺めながら登れば、七尾湾~和倉温泉街を望む絶景に出会えるでしょう。また、七尾城史資料館では、付近から出土した日常用具や天目茶碗、武具類などを展示。昔の庶民や武家の生活の一端を知ることができます。
和倉温泉お祭り会館では、七尾市を代表する4つのお祭りに関する展示を見学できます。まずは「青柏祭」。「でか山」と呼ばれる曳山は、高さ12m、重さ20t、車輪直径2mという巨大なもの。お祭りでは、その豪壮な姿を競います。次が「能登島 向田の火祭」。およそ30メートルの松明の大きさから日本三大火祭りの1つと言われています。続いて「石崎奉燈祭」。七尾市石崎町は、漁師町。威勢のいい掛け声が響き渡る中、高さ15メートルの奉燈が練り歩く様はまさに圧巻です。ラストは「お熊甲祭」。お宮からくり出した神輿は、天狗の面をつけた猿田彦の先導で、真紅の大枠旗などを従え、太鼓の音も賑やかに練り歩きます。
輪島市白米町にある白米千枚田。海に面した約4ヘクタールの斜面に1004枚も連なる棚田は、日本で初めて世界農業遺産に認定された「能登の里山里海」のシンボル。一枚の面積は18平方メートルほど。最も小さい田んぼは50センチ四方。今も田植え・稲刈りは、住民やボランティアによる手作業で行われています。そこで、来年3月中旬までイルミネーションイベント「あぜのきらめき」が開催中。能登の秋冬に欠かせない人気イベントです。あぜ道に設置された2万個以上のソーラーLEDが日没から約4時間点灯し、時間の経過とともにピンク、グリーン、ゴールド、ブルーへと色が変化。昼も夜も絶景が楽しめます。
石川県庁は、最上階19階の展望ロビーを無料で解放しています。四方をガラスに囲まれた地上およそ80mのそこからは、金沢市を一望。特に、日本海に沈む夕陽は人気の景観。その陽が落ちる辺りに広がる港町が「金石」、そして「大野」です。金石は、藩政期には宮腰と呼ばれ、北前船の寄港地として重要な役割を担っていました。日本海に注ぎ込む大野川の河口に位置する大野は、お醤油五大産地の一つ。製造工場の敷地内に整備されている醤油のテーマパークは無料で見学できます。また、醤油ソフトクリームを味わったり、糀湯に手を浸してハンドケア体験もおススメ。
野々市市で、11月 18日、19日に、「BIG APPLE IN NONOICHI」が開催されます。18日はワークショップ、19日のコンサートは午後3時開演で2部構成。1部は、地元のホストバンド「ムーンライトJAZZオーケストラ」の演奏と、日本のトップボーカリストたちによるステージ。2部は、ピアノトリオがモダンジャズの巨匠「セロニアス・モンク」をトリビュート。ところで、「ビッグ・アップル」って?それはニューヨークの愛称。 ニューヨークで活躍するトップクラスミュージシャンが集うという訳です。「ムーンライトJAZZオーケストラ」が1990年、アメリカに招聘され、聴衆から大きな喝采を浴びたことが縁。今年で29回目。この日は一日中、ジャズを!
江戸時代、日本の物流を担った「北前船」。現在の北海道・蝦夷地から大坂へ、大坂から蝦夷地へと各地の商品を仕入れて売りさばき、大きな利益を上げていたのが加賀橋立の船主達でした。現在も、船主の豪邸をはじめ、まち全体に北前船の遺産があり、日本遺産の構成文化財に認定されているものがたくさんあります。宅地は周囲を塀や石垣で囲み、建物や石垣、参道などに使われているのは、福井市の足羽山周辺で採れる「笏谷石」。普段は淡く緑がかっていますが、濡れると青に変わる性質を持っていて、集落全体に独特な風合いを与えています。そのまちなみは、重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。
志賀町のおよそ29キロに亘る海岸線一帯は、「能登金剛」と呼ばれ、石川県を代表する景勝地。そのほぼ中央に位置するのが、天然の洞窟・「巌門」。永い年月をかけ日本海の荒波が造形した洞窟は、幅6メートル、高さ15メートル、奥行き60メートルにも及びます。岩盤に空いた穴からは、雄大な日本海が望めます。そこを進む遊覧船は、能登金剛・厳門周辺を約20分かけて周遊します。また、少し北上すると「増穂浦海岸」に到着。砂浜には「世界一長いベンチ」。日が暮れたらLED照明「ペットボタル」の灯りが彩るイルミネーションがスタートです。海岸に打ち寄せられる幸せを呼ぶ「さくら貝」のピンクと、里の浜をイメージしたブルーが輝きます。
「いしかわ百万石文化祭2023」。44日間の期間中に、石川ならではの文化資源を活用した催しや全国大会など、県内全市町でおよそ150の多彩な文化イベントが行われます。10月14日(土)石川県政記念しいのき迎賓館を中心とした兼六園周辺文化の森一帯を会場にオープニングイベント「文化絢爛」で幕を開けます。ステージでは、大会アンバサダーの「田中美里」さんと「新田さちか」さんによるトークショー。大会のCM曲を歌うmoumoonや手話エンターテイメント発信団oioiも出演。音楽やダンス・民謡などに加え、宝達志水町子浦の伝統芸能、久保町若連中の「獅子舞」や「加賀鳶梯子登り」なども披露。まさに文化絢爛!
2016年春にオープンした、「津幡ふるさと歴史館・れきしる」。縄文、弥生時代の遺跡から出土した土器類、近世~現代の交通の変遷を振り返る絵図、平安時代のお触書「加賀郡ぼう示札」のレプリカなど常設展示しています。現在は企画展「津幡小学校 創立150周年記念ヒストリー展」を開催中。「れきしる」が建つ場所は、街中の小高い丘の上。かつて「津幡城」がありました。木造校舎が建ったのは、明治時代。特徴的なのが「子守学校」。裕福な家の子守役として働く女性たちが対象で、週3日午後2時間、「おんぶ紐」で赤ちゃんを背負いながら、現在の「道徳」にあたる修身、読書、算術、唱歌などの勉強をしたとか。
国内10か所目となるユネスコ世界ジオパーク、「白山手取川ジオパーク」。ジオパークとは、ジオ(大地・地球)とパーク(公園)を組み合わせた造語で、科学的に見て、特別に重要で貴重、もしくは美しい地質や地形を含む自然公園の一種です。海抜0mから2,700mに至る、起伏に富んだ地形が広がる白山から手取川河口にかけての一帯は、ジオパークに相応しい環境。2億数千万年前からの変化を刻んだ地層・岩体。水の流れによって形成された峡谷や扇状地などの多彩な地形。白山がもたらす温泉や湧水などの恵み。多種多様な自然から育まれた多彩な文化・歴史。そして、見所はやはり「白山」。山の文化を味わう秋。いいと思いませんか!
能美古墳群は、能美市の平野部に点在する5つの独立した丘「寺井山」・「和田山」・「末寺山」・「秋常山」「西山」の上に造られた古墳群の総称。発見された古墳の数は62基。「前方後円墳」、「前方後方墳」、「円墳」、「方墳」と、造られた時代も形も様々。古墳の中や周辺からは、古代の鏡、甲冑、馬具、素焼きのお皿・須恵器などが出土しています。国指定史跡に指定されているほど貴重なものです。そんな古墳群の傍に、3年前、『能美ふるさとミュージアム』がオープンしました。能美の自然・歴史・民俗について総合的に学べる博物館で、旧石器時代から古墳時代、江戸時代から懐かしい昭和期まで、一ヶ所で歴史を辿ることができます。
卯辰山は、藩政期、お花見、紅葉狩り、月見の名所として親しまれ、 幕末には、陶器、漆器、鍛冶などの工房が建てられ、芝居小屋、料理店などもでき、大いに賑わいました。そして、昭和 33 年、完成したのが、劇場、レストラン、浴場、宿泊施設等を設けた「金沢ヘルスセンター」。動物園・水族館もでき、長く親しまれました。 そんな卯辰山は金沢の歴史探訪の場でもあります。山腹のあちこちに顕彰碑、功労碑 、歌碑、句碑、書碑などが建立されてきました。その一つが、望湖台の入口に建つ、金沢三文豪・徳田秋聲の文学碑。土塀を型どった姿で、同郷の作家・室生犀星の筆による年譜と、本人自筆の文章が陶板に書かれています。
津幡町の4つの地区、清水、庄、津幡、加賀爪では、同じ日に、秋の始まりを告げる獅子舞が行われます。今年は9月17日。獅子頭には町ごとの特徴があります。表面に朱色の漆を塗った「赤獅子」。白鹿の皮を張った「虎獅子」。黒熊の皮で仕上げ、目が左右に動く細工が施された「熊獅子」。黒熊の皮を張った強面の「大獅子」。その獅子に立ち向かうのが「棒振り」。4つの町内を早朝から練り歩き、家の前で、棒振りが、霊獣を退治して厄払い。日が暮れる頃、町中心の四つ角に、4つの獅子が集合すると、獅子舞頭合わせがスタート!囃子方、獅子、棒振りが技を披露し、獅子頭がぶつかり合うと、祭りは最高潮を迎えます。
七尾市にあるアートの拠点「石川県七尾美術館」。地元に生まれた稀代の絵師「長谷川等伯」が描いた国宝、「松林図屏風」でも知られています。そこで、9月18日まで開催されているのが『動物たちの浮世絵展』。お江戸の三大ペット---猫、犬、金魚に留まらず、大事な家畜の馬、愛らしい猿、海外から連れてきた象に孔雀やオウム、さらには空想上の珍獣まで描かれた対象は実にバラエティ豊か。展示の浮世絵を通して、当時の暮らしぶりや庶民の表情も垣間見え、遥か昔にタイムトリップできるかもしれません。それらの作品を手掛けたのは、喜多川歌麿、歌川広重、葛飾北斎ら。1枚の浮世絵の向うにある、日本人の心を観にお出かけください。
南加賀の中核都市・小松市。石川の空の玄関口である小松空港は航空自衛隊との官民共用空港ですから、展望デッキからは旅客機に加え、戦闘機の離発着も見学可能。また、これも小松空港の名物といえるのが大型の貨物用飛行機「カーゴルックス」。ヨーロッパ・ルクセンブルクを拠点として世界中を結ぶ国際航空で、日本では唯一、小松空港に乗り入れています。そして、空港近くの航空機博物館「石川県立航空プラザ」では、ブルーインパルスの飛行機や南極観測用軽飛行機、人気ヘリコプター、ハイテクジェットなど実物20機を展示。実際にパイロットが使っていたフライトシミュレーターもあり、大人も子供も楽しめます。
明治末~昭和初期に一世を風靡した「竹久夢二」。18歳で上京した「夢二」が結婚した相手は、金沢市生まれの「岸たまき」。妻をモデルに、独自の世界「夢二式美人画」を切り拓きました。次に愛し合うようになったのが「笠井彦乃」。大正6年、2人は金沢へ旅行。ファンとの交流を持ち、金沢の奥座敷「湯涌温泉」に、3週間あまり滞在。その縁から「金沢湯涌夢二館」が設立されました。9月10日まで「企画展 夢二の新聞連載ルポ~東京災難画信」を開催中。関東震災発生後まもなく、夢二が担当した被災地の絵入りルポルタージュの手稿や、震災直後の東京を描いたスケッチブックを展示。「夢二館」館初公開作品を含む原画と下絵も展示。
ユニークなキリコが出ることで有名な能登町鵜川の「にわか祭」。名前の由来は、幕末の加賀藩主・前田斉泰公が能登を訪れた際、お殿様をもてなそうと“キリコをにわか作りで組み立て披露”したこと。「にわか」は、他の地区のキリコのようにお神輿のお供ではなく、そこに神様を乗せているのが特徴。お祭り当日、陽が暮れると9基の「にわか」が「見卸しの浜」と呼ばれる広場に集まり、花火を合図に町内を練り歩きます。お宮に入ってからも鉦や太鼓に囃されながら、境内を威勢よく回り、お祭りは明け方近くまで続きます。各町が豪華な武者絵を住民や見物客が品評し合うのも楽しみの一つ。「にわか祭」は、今月26日に開催予定。
輪島市の曽々木海岸にある中央に直径2mの大穴が開いた窓岩。その穴から差し込む夕日は、圧巻。やがて日本海に陽が沈むと、お祭りタイム!8月17、18日に曽々木大祭が行われます。宵祭りでは、春日神社前に総輪島塗のものや、白木造りのものなど、大小5基のキリコが勢ぞろい。神事後、キリコ最上部のぼんぼりに神殿のろうそくからいただいた火が灯り、出発。神輿をキリコが囲み、和ろうそくの明かりを揺らめかせながら町内を練り歩きます。窓岩ポケットパークに到着すると、さらにヒートアップ。柱松明が燃え盛り、花火が打ち上げられる中、打ち鳴らされる太鼓のリズムに乗って勇壮に乱舞。光と炎、音とキリコの競演は、大迫力です!
鶴来は戦国時代以前から物資が集まる宿場町として栄えた町。往時の賑わいをしのばせる古い建物が今も残り、玄関口である鶴来駅舎も昭和初期に建築され、レトロな雰囲気を醸しています。昔ながらのお醤油の醸造蔵、造り酒屋。古民家を改装したカフェやスイーツ店などが軒を連ねる町を抜けると、獅子吼高原に到着。山麓からゴンドラに乗り、標高650mの天辺へ!金沢平野から遠く日本海までが一望できる、解放感いっぱいの景色が目の前に広がります。緩やかな起伏がある頂上は、スカイスポーツの拠点。1日体験コースや、インストラクターと2人乗りのタンデムフライトもあります。
鶴仙渓は、温泉街に沿って流れる大聖寺川の渓谷。遊歩道が整備されており、立ち並ぶ色んな形の岩を眺め、四季折々の景観が楽しめます。橋めぐりも見所の一つ。上流の「こおろぎ橋」は総ヒノキ造り。中ほどの「あやとり橋」は、紅紫色のS字という斬新なデザイン。下流のレトロなコンクリート造りの「黒谷橋」。およそ1キロの区間を歩きながら、自然の美と、自然と調和した人の手による造形の美、2つの美しさが同時に堪能できます。また「あやとりはし」の近く、期間限定オープンの「川床」も外せません。お茶とお菓子をいただきながら、川から運ばれてくる涼を五感で感じながら、贅沢で優雅なひとときを過ごしてみてはいかがでしょうか?
七尾湾に浮かぶ島「能登島」。島をあげて行われる祭りが「おすずみ祭」。近年では「向田の火祭」と呼ばれ、石川県指定無形民俗文化財に指定されています。今年は7月29日(土)に開催。向田の伊夜比咩神社の祭礼で、神事後、神輿やキリコが担ぎ出され、メイン会場となる広場まで練り歩きます。そこに設置されているのは、高さ30メートルもある柱松明。担ぎ手はそれぞれ手に持った松明を振りながら周りを巡り、熱気が最高潮に達した頃、合図で一斉に柱松明目掛けて火を投げつけます。たちまち巨大な火の柱と化した柱松明が倒れた方向によって豊漁、豊作を占う。
金沢三茶屋街の1つ「にし茶屋街」。目抜き通りの一番奥にあるのが「西茶屋資料館」。一世を風靡した作家、島田清次郎ゆかりの施設です。大正時代に彗星のごとく現れ、文壇から消えた天才です。20歳で刊行した自伝的小説『地上』が、総計50万部の大ベストセラーを記録するも、尊大な態度やスキャンダルによって地位を失い、精神が病み、31歳の若さで亡くなりました。彼がまだ幼い頃、身を寄せたのが母の実家があった西の廓。その茶屋の建物を再現した「西茶屋資料館」1階には、島田氏に関する貴重な資料などを展示。2階には、金屏風や漆塗りの装飾品が並び、当時の雰囲気が窺えるでしょう。
今年、4年ぶりに開設される内灘海岸。そのビーチの魅力は、波打ち際まで広がる200mものスケールの広い砂浜。昔から多くの文学作品にも取り上げられてきました。「東西南北 星の流るる 夜なりけり」。明治~昭和にかけて活躍した俳人であり小説家・高浜虚子の作。<内灘の夜空は広く遮るものはない。その夜空を駆ける流れ星を最後まで見届ける事ができるほどだ>人の心を包み込む優しさを備えた、砂丘の雄大な自然がテーマです。海開きの7月8日(土)、「内灘サンセットアワー」が開催。夕日と食と音楽のコラボレーションを楽しむ一日限りのサマーイベントです。ステージでは俳優・武田真治さんらのパフォーマンスも行われます。
河北潟は、石川県のほぼ中央に位置しています。サイズは東西4km、南北8km。古くは“ハスの湖”蓮湖とか“大きくて清い湖”大清湖とも呼ばれ、物資の輸送ルートとして、また、豊富な魚が獲れる漁場として、人々の暮らしを支えてきました。今では、干拓事業によって完全な淡水になり、広大な農地が広がります。中でも加賀野菜の一つ「加賀れんこん」は有名。色白で粘りがあって、節が詰まって実が締まっています。そして夏、河北潟の風物詩と言えば「ひまわり村」。7月下旬から8月上旬にかけて、35万本のヒマワリが咲きそろいます。「ひまわり迷路」に設置された展望台からは、壮大な絶景を一望。 これも“映えスポット”。
七尾湾の南に位置する和倉温泉。泉質は「ナトリウム・カルシウム塩化物泉」。お湯を口に含むとショッパイ味がするのが特徴。源泉の温度はおよそ80度。そのお陰で楽しめる美味が「温泉たまご」。開湯伝説にちなんだシラサギの像が置かれた「湯元の広場」に足を運んでください。近くのお店で生卵を買って備え付けのカゴに入れ、源泉が湧き出る湯壺に沈め、およそ15分。ほんのり塩味の温泉たまごが完成。“海の温泉”ならではのグルメです。そして、温泉街のそぞろ歩きを楽しみながら、甘いひとときを!通年「和倉温泉スイーツ巡り」を開催中。お一人600円で温泉街にあるいろいろなお店のスイーツを3つ選んで巡ってください。
加賀の千代女は、元禄16年、加賀国松任・現在の白山市に、掛け軸などを仕立てる表具屋の娘として生まれた。数え年6歳の頃にはすでに俳句を詠んでいう。17歳の時には、俳人・松尾芭蕉の弟子に俳句の才能を認められ、「あたまからふしぎの名人(不思議というしかないほどの名人)」と評されました。そんな女流俳人の故郷・白山市に「千代女の里俳句館」が出来たのは、平成18年。俳句を通した交流・体験活動のための拠点施設で、千代女をはじめ、多くの俳人達について、映像や資料等を活用して紹介したり、子供達や外国人にも俳句を作り楽しめるようなコーナーもある。「千代女の里俳句館」では、広く俳句を募集中。
古くから受け継がれてきた習慣「菖蒲湯」。元々は、「端午の節句」に、邪気を祓う薬草とされていた菖蒲を軒にさしたり、お湯に入れ、無病息災を祈ったのが始まり。4日(日)5日(月)、「山代温泉」で「菖蒲湯まつり」を開催。初日の夜、「俵のお神輿」が登場!2本の太い棒の上に菖蒲を詰めた俵を6俵、下に2俵を取り付けた神輿の総重量は300キロ以上。それを若衆たちが曳き回し、温泉街を練り歩く。威勢よく運ばれるうち、俵が擦り切れて菖蒲が路上に散乱。皆で奪い合い、拍子木を鳴らしながら、菖蒲を共同浴場の1つ「古総湯」の湯壷の中に投げ込む。そのお湯につかると、その年の災厄から逃れられるといわれている。
「イカ」は寿司、天ぷら、煮物、珍味など、日本の食卓に欠かせない魚介といわれていてその消費量は魚介類の中でも上位に入る。じつは能登町が日本有数の名産地として知られていて、なかでも能登小木港は全国でも3本の指に入るほどの漁獲量。その「能登小木港」で明日開催されるのが「能登小木港イカす会」。このイベントでは、生きている「イカ」が見られるのはもちろんのこと、つかんで、釣って、知って、食べてのすべてを体験できる。イカ釣り漁船の見学を始めやイカの構造や生態を勉強できる公開授業や能登の海の生き物との触れ合い体験など、イベントが盛りだくさん。
バラは例年5月下旬から6月上旬が見頃。そんなバラが生い茂る場所で明日、運動とみどりを楽しむイベントが開催される。その名も「スポーツとみどりdeハッピーフェスタ」。金沢南総合運動公園にあるバラ園を利用し、トークショーや、体験教室など様々なイベントが開催される。バラの専門家によるトークショーでは、肥料のやり方や選定方法といった話を聞くことができる。またGPSアートのイベントも開催される。 GPSアートとはスマートフォン等のGPS機能を利用したアプリを使って、移動することでスマートフォン上に表示される地図に通った道筋で絵を描くというもの。ウォーキングやジョギングをしながらスポーツとアートを同時に楽しめる。
瓜と見間違えそうなほど太くて大きいきゅうりが「加賀太きゅうり」。金沢市の打木町やかほく市などで主に生産されていて、1本で普通のきゅうりの5本分ほどの量になるほどの大きさ。重さもずしりと重く、一つあたり600gほど、大きなものは1キロを超えることもある。昭和11年ごろ、久安町地区の農家が東北の太きゅうりの種子をゆずりうけ、栽培したのがはじまりのようで、その頃はいわゆる「瓜」に近く、三角で黄色い色味だった。その後、自然交配を繰り返したことで丸い形になり色も緑色に変わっていき、昭和27年ごろに現在のものに近い太さ、色になった。
長谷川等伯は七尾、当時の能登の国で生まれ育ち、元々は「信春」という名前で仏教に関する絵を描く画家として活動していた33歳の時に文化の中心地、京都に家族で渡った。33歳という年齢は当時としてはかなり遅咲きだったがお寺の襖絵を、住職の不在時に勝手に書き上げてしまうなどのなんとも大胆な行動とその絵の完成度の高さで大きく名を挙げた。作品は、抽象的な色彩表現やダイナミックな構図、独自の筆づかいが特徴で水墨画や障壁画を得意とし、日本最高の水彩画とも称されている、国宝《松林図屏風》をはじめ、多くの作品が重要文化財に指定されている。
加賀市山中温泉にある「医王寺」、は山中温泉を開湯したという行基が創建し、地元の人々から温泉を守護するお寺として親しまれている。そこで5月4日、5日に開催されるのが「甘茶まつり」。これは仏教の開祖であるお釈迦様の誕生をお祝いする行事。甘茶とは、名前の通り強い甘味が特徴のお茶のこと。このお祭りでは普段はあまり目にすることがないことがおこなわれる。それは、桶のようなものの上に置かれたお釈迦様の像に甘茶をかけるというもの。なんでもそのかけたお茶をいただけば一年を無病息災に過ごせるという。
「のとキリシマツツジ」はその美しさに魅了されている愛好家が多く、お家で、この花を大切に育てている方が沢山いる。そんな個人のお庭を公開して、ツツジを気軽に見てもらおうというのが「のとキリシマツツジオープンガーデン2023」。愛好家の方が手入れしてきた花が期間限定でお披露目される。奥能登の62か所のお庭を公開中で、期間は5月中旬あたりまで場所によって開花時期が異なるので奥能登全体で一ヶ月ほど美しい花を見ることができる。満開の時期は各庭で異なるので、気になった方は公式サイト等で開花情報をチェックしてください。
「ゴリ」と一言で言っても、地域によってどの魚のことを指すか変わるが、金沢でゴリと言えば、浅野川や犀川で獲れるカジカ科のカジカと、河北潟で獲れるハゼ科のウキゴリの2種類をさす。 体長10数センチの小魚ながら
身は柔らかくて甘みがあるため、刺身やから揚げ、煮付けなど調理法によって様々な味わいを楽しむことができる。カジカ科のゴリは料亭などでしか食べられないが、ハゼ科のゴリの佃煮などは比較的手に入れやすい。
小松市の尾小屋鉱山。かつて国内有数の鉱山として繁栄した場所で、その歴史は古く、はっきりとした始まりは分かっていないが、本格的に採掘が行われるようになったのは明治時代。昭和30年代頃をピークに、年間2,000トンを超える銅を生産していたが、徐々に需要が減り、昭和46年に閉山した。そんな鉱山としてのかつての繁栄を今に伝えるのが、尾小屋の各地に残る「カラミレンガ」。「カラミ」というのは、銅を作る際にできてしまう不要物を固めたもので、本来は廃棄されてしまうもの。尾小屋周辺では、これを壁や塀の材料として使っていて、今でもいたるところにその痕跡が残っている。
今が旬の魚「サヨリ」。細い身体に、ツンと突き出た下顎と赤身を帯びた口先が特徴でそのスリムできらきらと輝く姿から“海の貴婦人”ともいわれている。この魚自体は日本各地の沿岸で見られるが、石川での漁獲量は全国トップクラス。漁業協同組合が認定する「石川の四季のさかな」の春のさかな部門に選ばれている。サヨリの漁は「二艘曳き」という漁法が使われ二つの船を走らせながら、挟み込むようにして一網打尽にする独特のスタイル。漁師二人の間合いがすべてを決めると言われていてまさに、あ・うんの呼吸。旬は、桜が咲く春の初め。特に4月は身が締まって最も美味しくなり、県内では「花見魚」という愛称で親しまれている。
毎年4月2日、能登町藤波地区にある神目神社で行われる「酒樽がえし」。 酒の入った樽を田んぼや海で奪い合うという変わったお祭り。二つのグループに分かれて行われ、樽を手に入れた方はその年、豊作・大漁になるとの縁起があると言われる。祭りは、まず神社から始まり、1斗入りの酒樽を神前に供え、選ばれた約10人の若者たちが、身を清める。そしてふんどし姿となった若者たちは、樽をかつぎだして少し離れた田んぼへ向かい田んぼに到着すると樽を投げ入れ、奪い合いが始まる。二つのグループに分かれて若者たちが一心不乱に動き回るので、たちまち泥だらけに。そのあとはすこし離れた港へ向かい、次は海での奪い合いが行われ、水しぶきを上げながら樽を追いかける姿は迫力があって見ごたえがある。
能登半島の西北端にある、輪島市の猿山岬。細い道を通り、いくつもの山を越えて、ようやくたどり着くことができるため、「奥能登の最後の秘境」とも呼ばれている場所。そんな猿山岬で今の季節から4月上旬にかけて見頃を迎えるのが、「雪割草」。雪割草は里山に雪が残る中、春一番に咲くことからその名前がついた。猿山岬は日本有数の雪割草群生地で猿山の灯台付近には「のと猿山雪割草の道」という遊歩道があり、これからの季節、白色や淡い赤、薄紫色などの色とりどりの雪割草を見ることができる。
金沢市の「まちなか」では、江戸時代からの文化的な街並みが至る所に残っているが、残っているのは建物だけではない。「兼六園」をはじめとした至る場所で、古くから残されてきた、巨大な木、巨樹を見ることができる。
まずは、しいのき迎賓館の玄関にたたずむ二本の木、「堂形のシイノキ」。「堂形」というのは江戸時代におけるこの周辺の地名のことで、この二本のシイノキの樹齢はおよそ400年、高さは11メートルほど。国指定の天然記念物にもなっている。次にご紹介するのは、本多の森公園の木々。この付近一帯は、もともとは加賀藩の武家屋敷があった場所で今でも豊かな自然が残されていて、スダジイやケヤキなどの木々がある。
能登半島の中央に位置する穴水。ここで珍味として親しまれている食材が「イサザ」。体長5cmから6cmほどの小魚で、透き通った身体が特徴。イサザという名前は方言名で正式名称はシロウオという名前。穴水の珍味と言われる「イサザ」は近年、水質汚染などで生息環境が減ってきていることもあり、高級料理店でも珍重さている。また、水温が上がる3月頃になると、産卵のために海から川へ昇ってくるが3月はまだ身が小さいので、踊り食いが人気。2、3匹をそのまま口に含んでのどをすべらせると甘みがあり食感と共に独特の香りが楽しめる。
金沢市に昨年オープンした石川県立図書館。別名百万石ビブリオバウムと呼ばれている。「ビブリオ」はイタリア語で「図書」、「バウム」はドイツ語で「木」という意味で「県民の成長を後押しし、進化を続ける図書館であってほしい」という願いが込められている。この場所で来月4日から二日間かけて開催するのが「里山里海ワークショップデー in 百万石ビブリオバウム」。これは里山里海の魅力を実際に体験してもらうためのイベントで、「作る・学ぶ・買う・食べる」の4つをテーマに、こどもから大人まで楽しめるというコンセプトの元、いろんな企画が開催される。
七尾湾で獲れる冬の味覚の一つが「ナマコ」。蟹と同じく漁期が決められていて、11月から3月の間しか食べることができない。穏やかな七尾湾で育ったナマコは身が柔らかいのが特徴で、見た目が綺麗な「赤なまこ」は高級食材にもなっていて「ナマコの酢の物」としての食べ方が代表的。また、ナマコをさらに加工して作られる、能登特有の珍味もありそのうちの一つが 「このわた」。ナマコの腸を塩辛にしたもので、作るのにとても手間のかかる珍味。もう一つ有名なのが「くちこ」。ナマコの卵巣を一本ずつ縄にかけて、三角形の形にして乾燥させたもので、1トンのナマコから100gしか作れないと言われる、こちらも希少な珍味。
「サンセットブリッジ内灘」は全長344mの白鳥のような優美な姿が特徴の橋。2001年に完成した橋で、内灘町の北部と南部を結ぶ町のランドマーク。そして、このサンセットブリッジ内灘と内灘海岸の周辺一帯は、NPO法人 地域活性化支援センターから、「恋人の聖地」として認定されているスポット。橋のすぐ近く、内灘総合公園では、「幸せの鐘」、「ダブルハートのオブジェ」、「恋みくじハウス」などが設置されていて恋人たちが楽しめるようになっている。中でも見晴らし台からの景色は格別で、サンセットブリッジはもちろん河北潟や晴れた日には立山連峰や白山まで見ることができる。
「ぞんべら祭り」と呼ばれる神事。これは、輪島市門前町にある鬼屋神明宮でおよそ700年前から続くという神事で、毎年2月6日に行われる。「ぞんべら」とは音を立てて水を渡る意味の「ぞんぶり」から来ているそうで、この文言が神事中に繰り返し使われていることから「ぞんべら祭り」と呼ばれるようになった。内容は拝殿の一角を水田に見立て、田起こしから田植えまでの農作業を模擬的に行い豊作や繁栄を祈るというもの。
金沢を代表する観光地のひとつ、長町武家屋敷跡。ここには無料で見学できる旧家跡や資料館があるが、そのひとつが「金沢市足軽資料館」。足軽とは武士の中でも階級の低い歩兵のこと「金沢市足軽資料館」は足軽の生活を再現している野外展示施設。かつての家屋をそのまま保存しており、当時使われていた道具も展示されている。住居は二軒展示されていて、建物は庭付きの平屋一戸建てといった簡素な造りとなっている。当時、「足軽」で一戸建てに住んでいるというのは珍しいもので、他の藩では通常は「長屋」、現代の「共同住宅」のような場所に住んでいた。
七尾湾、穴水周辺はかつてボラ漁がとても盛んな場所だった。ここで江戸時代に始まったとされる原始的な漁法が「ぼら待ちやぐら」。丸太を使って高さ10メートルほどのやぐらをピラミッドのような形に組み上げ、ボラが回遊してくる入江の中に立てる。周囲の海底に網を沈め、漁師がやぐらの上に登って魚の群れを見張り、網の上にやってきたら引き上げて捕まえるというもの。ボラは音に敏感で警戒心が強いためにこのような方法を取っていて最盛期には40基を超えるやぐらが作られていた。しかし魚がくるのをひたすら待つしかないこの漁法は、長い時間と労力がかかるため1996年を最後に行われなくなった。現在では、穴水町の根木ポケットパークや中居ふれあいパークでモニュメントとしてのやぐらを見ることができる。
小松市安宅町、ここは古くより陸路、海路の要所であり、北陸道を通る人々が必ず立ち寄った場所。歌舞伎「勧進帳」の舞台としても有名で、義経と弁慶がとっさの機転で「安宅の関」を突破した逸話は多くの人に知られている。そんな安宅町に鎮座し、1200年以上の歴史を誇る神社が、「安宅住吉神社」。この神社の特徴は、全国でも唯一の難関突破の守護神であるということ。受験はもちろん、会社経営やスポーツ競技、習いごとの上達など、人生の様々な難関に霊験があると言われ、御祈願やお守りを求めて、県内外から多くの人が参拝に訪れるパワースポットになっている。
輪島市河井町にある「重蔵神社」。ここで毎年1月7日の夜、成祝式という新年の厄払い行事が行われている。五穀豊穣と1年の健康を祈願するという神事で、厄年にあたる数え年で42歳の男性と33歳の女性が拝殿に集まり、それぞれが向かい合わせに正座しておはらいを受け、その後「成祝式」が始まる。1人に2本ずつ「御宝木」とよばれる先端が十字に切られた枝が配られ、神楽太鼓をきっかけに神事が始まり、静かだった空気が一転、両手に持った枝を床に置かれた板に打ちつける。打っている時間は、1分間ほどだがその激しい音には、厄や邪気が払われていくような爽快感があるという。また、枝先が稲穂のように裂けるほど豊作になるとの言い伝えもあり参加者は、一心不乱に枝を打ち付ける。
加賀万歳は前田利家が福井県越前市を治めていた頃、領民が「越前万歳」をお正月に披露したのが始まり。利家が金沢へうつった後もこの万歳は続き、金沢でも広まった。もとは越前万歳が由来だが、大きく異なる箇所があり越前万歳が、家の前で演じるのに対して加賀万歳は、家内の座敷で披露するところにある。また、能楽の影響を受けているところも特徴で、ゆったりとした舞と語りは滑稽さと品格を兼ね備えた独特なものとなっている。そして衣装も独特。太夫は、侍がかぶっていたという侍烏帽子をかぶり、腰に帯刀、そして右手に扇子といった格好。才蔵は、黒い紋付き袴に真っ赤なベレー帽のような大黒頭巾と言われるものをかぶりどちらもどこかユーモラスな雰囲気を醸し出しており、それぞれの性格を引き立てている。
香林坊という地名の由来は、400年前に遡る。元々は越前国、朝倉家の家臣であり、その後比叡山延暦寺の僧侶となった、「香林」というお坊さん、「香林坊」がその由来。香林坊は加賀の国で薬屋を営む「向田」の家に養子として迎え入れられ、「向田香林坊」と名乗った。この向田香林坊、毎晩夢に地蔵が現れ、あるお告げを聞いた。その内容は「金沢城へ行って目薬を作って売りなさい」というもの。加賀藩藩主、利家公はその頃目の病を患っていたようで、お告げどおりに目薬を献上すると、たちまち利家公の病が治ったのだとか。加賀藩に評価され、大きく成功を収めた向田氏は「香林坊家」として繁栄し、それが今の町名「香林坊」の由来となった。
小松市の名物グルメの一つ、「小松うどん」。霊峰白山の伏流水を使い、細めで程良くコシのある麺と、ウルメ・ムロアジ・サバなどと昆布をふんだんに使ったあっさりとした味のだしが特徴。「小松うどん」には300年もの歴史があり江戸時代には加賀藩の特産品として、将軍や大名への献上品にもなっていた。2010年からまちづくりに生かそうとブランド化の取り組みが進められ小松市内で製造された麺であること、白山の水で仕込むこと、こまつの発展を願って茹で上げること、などの「小松うどん 定義八か条」を定めていて、現在では小松市内およそ70店舗で「小松うどん」を食べることができる。
金沢の雪は湿って重たく、除雪が大変だがその対策の一つとして樹木への雪吊りが有名だが、昔は他にも風物詩と呼ばれるものがあった。まずは「ごっぽ石」。これは30センチくらいの大きな石で長町などでは今でも見かけることがある。この石、下駄に着いた雪を落とすために使われていた。江戸時代、柔らかい雪を踏むと、下駄に雪が挟まったので家の玄関先にこの石を置き、叩き落としていた。次はスコップの前身、「コシキダ」。およそ40年前まで使われていた木の板。これは屋根につもった雪を落とすためのもので、屋根の瓦は金属のスコップだと割れることがあるが木だと安心して雪を落とすことができた。
加賀野菜の一つ「くわい」。くわいは里芋に似た丸い形に、先のとがったくちばし状の芽が生えた野菜。つやのある美しい青みを帯びた色をしていて、古くから作られる伝統ある特産物。ゆり根に似たほろ苦さとほくほくした食感が特徴でミネラルとカリウムが豊富で、熱を加えてもその栄養素がほとんど消えないので、煮物や揚げ物に最適。普段あまり使われない野菜だが、芽がにょきっとつきだしたような見た目から、「芽が出る」にかけて、縁起物として重宝されている。
加賀市の「片野鴨池」。石川と福井の境にあるこの場所は、毎年11月上旬から2月末をピークに、数千羽のガンやカモなどの水鳥が越冬のためにやってくる。貴重な水鳥が数多く生息するということで、平成5年には「ラムサール条約」にも登録されている、国際的にも重要な場所。この片野鴨池周辺で、江戸時代から受け継がれている伝統猟法が、「坂網猟」。元々は武士の鍛錬として始まったとされていて、坂網と呼ばれる全長約4mもある、Y字型の網を使って行われ、夕暮れ時に池の周囲に身を隠して、池からカモが飛び立つ時を狙い、大きな網を真上に投げて捕えるという、とてもめずらしい猟法。鴨が一斉に飛び立つタイミングは夕方だけなので猟ができる時間は1日のうち30分ほどしかない。
奥能登一帯で作られている特産品、「能登大納言小豆」。大納言というのは小豆の種類の一つで、珠洲市、輪島市、穴水町などで栽培されている大納言小豆を「能登大納言」と呼んでいる。能登大納言は粒の大きさと鮮やかな赤い色、そして風味の良さが特徴で、最高級品として知られる、丹波産の大納言小豆にも引けをとらない品質と言われている。能登の大納言小豆栽培の歴史は古く、江戸時代中期には生産が行われていたという記録が残っていてその後、全国で活躍していた奥能登の酒造り職人、「杜氏」が他の土地の大納言小豆を持ち帰り、それらが交配して現在の品種になったとされている。
金沢の中心にある金沢城公園。ここで11月の土日に「五彩提灯回遊路2022」というライトアップイベントが行わる。金沢市民のお祭りである「提灯行列」を思わせるような伝統と現代アートが融合したライトアップイベント。園内を回りながら光の演出を楽しむことができる。「五彩提灯回遊路2022」は鼠多門前で提灯を受け取るところからスタートする。実はこれ、灯りの色が、歩く場所によって加賀五彩に変化する。加賀五彩とは、藍、臙脂、黄土、草、古代紫の5色で、加賀友禅の基調になっているといわれる色のこと。変化する提灯はもちろん綺麗ですが、コース内のライトアップも見もの。
能登には数多くの「祭り」があるが中には風変わりなお祭りもあり、そのひとつが「いどり祭り」。来年の豊作を祈願するお祭りで、名前にある「いどり」とは能登の方言で「けなす」、「難くせをつける」という意味。毎年11月7日に、能登町鵜川の菅原神社で行なわれ、6つの町内が交代で当番となり、男子のみで直径1.2mの大鏡餅、丸型小餅などを作り、その餅を神前に供え、来年大鏡餅を造る当番をもてなす。もてなされたほうは作られたお餅について色、形、大きさなどについて難くせをつける。これに対して当番は弁明するが簡単に治まらないので神主が仲裁に入って場を収めるが、いどりと弁明はユーモラスで見る人の笑いを誘う。
小松市は、九谷焼や小松瓦などの伝統的な工房や、全国的にも有名な建設機械、繊維の工業メーカーなど様々な産業がある街。そんな小松で11月3日から6日にかけて開催されるのが、「GEMBAモノヅクリエキスポ2022」。小松市内の35社の工場や工房で開かれるオープンファクトリーイベントで、各工場や工房を見学することのできる見学プログラムがある。九谷焼の窯元や、自動車機械部品の工場、機械が自動でスムーズに動く、トマトの選別現場など、普段立ち入ることのできない場所を見学することができる。そして実際に現場でプロから教わりながら、手を動かすことができる、ワークショップ型の「体験」プログラムも行なわれる。
石川で作られているカボチャにはいろいろな種類があるが、有名ものの一つが加賀野菜でもある、「打木赤皮甘栗かぼちゃ」。戦後、金沢の安原地区を中心に栽培が広まり、その名の通り皮が鮮やかな朱色で、玉ねぎのような円錐形の形をしているのが特徴。煮物やスイーツなどいろいろな食べ方ができるが、夏野菜なので、既に旬は終わっている。これからの時期食べることのできるのが、「能登カボチャ」。かぼちゃは能登を代表する特産野菜で、年間約1500トンが出荷され最もポピュラーなのが「えびす」という品種。見た目は普通のカボチャだが、その特徴の一つは栽培時期。全国的なカボチャ産地である、九州と北海道の出荷時期の間を狙って、夏の他に10月~12月にも出荷している。
宝達志水町、押水地区を中心に生産されている特産品が「花木」。「花木」とはあまり聞きなれない言葉だが花が咲く木のこと。押水の花木は、生け花やフラワーアレンジ、クリスマスリースなどの材料として使うために生産されている。赤や黄に色づいた枝や、金や銀にペイントした枝は、大手量販店の花束などにも使われていて、意識したことはなくとも多くの方が目にしたことがあるはず。宝達志水町で「花木」の栽培が始まったのは昭和45年ごろで様々な品種が栽培されているが、中でも力を入れているのが、寒くなると枝が赤くなる「サンゴミズキ」という品種。元々は徳島が原産だが、寒くて雨が多い石川で育ったサンゴミズキは、色づきが早く、艶もあり、評価が高い。
七尾の市街地からほど近い丘にお寺が集まる地域がある。その名も「山の寺寺院群」。山の中にさまざまな宗派の寺院が混在している珍しいスポット。各寺には個性的な特徴や歴史が多くあるが、その中の一つ、妙観院は建物がユニークで変わったかたちの岩や池もある。また、伝説の多い寺院で、七不思議のおもしろいエピソードを辿りながらお参りができる。その他にも前田利家が創建した長齢寺やキリシタン大名を匿ったとされる本行寺など個性あふれるお寺がある。「瞑想の道」と呼ばれる各寺院をつなぐ散策路もありそのため寺院巡りをする人も多く、市民の憩いの場にもなっている。
能登は一年中、きのこが採れる地域。それは生活の身近に山があり、林業が盛んな地域だからです。かつては1、000種類もの天然きのこが自生していたといわれている。特に秋には様々な品種が取れるため、能登はキノコの宝庫。中でも松茸は質が高くて人気。その松茸と同じくらい人気なのが能登の、「コノミタケ」。これはホウキタケというキノコの仲間で、白い珊瑚のような形をしている。見た目もさながら、一番の特徴は甘く香ばしい香りでマツタケの倍もするといわれている。食感はサクサクと歯切れがよく、焼いたマツタケに似ている。あらゆる料理に合い、中でもお肉との相性がよく、地元の方はすき焼きや鍋などに入れて楽しんでいる。
金沢市野町にあるお寺、香林寺。ここは、1651年に建立された由緒あるお寺だが又の名を「願掛け寺」という、パワースポットとしても有名。願掛け寺と言われるだけあって、いくつもの「願掛け法」があるが、そのうちの一つがお寺の庭にある「幸福の道」。「幸福の道」の願掛け方法は独特で、お寺の庭の道を叶えたい願い事を書いたタスキをかけて3周歩き、3周目で自分の「干支」の像にそのタスキをかけることで願いが叶うのだとか。そして、この香林寺で、今見頃を迎えているのが「白い彼岸花」。彼岸花というと赤の印象が強いがこの香林寺は、国内有数の「白い彼岸花」の群生地。およそ9000~10000本の花が一面に咲き誇る様子はとても美しく幻想的。
宝達志水町は県内最大のイチジクの生産地で50軒ほどの農家が栽培している。一口にイチジクといっても色んな品種があり、宝達志水町でもさまざまなものが栽培されているが、その中でも貴重なのが黒イチジク。その名も「黒蜜姫」。「黒蜜姫」というのは2020年に公募で名付けられたブランド名で、正式な品種名は「ビオレソリエス」という、フランスが原産のイチジク。普通の物と比べて色が濃い紫色で黒く見えることから、「黒イチジク」とも呼ばれていて、通常のものより糖度が高く、果肉に弾力があって粘りがあるのが特徴。シーズンになると「黒蜜姫」を使ったスイーツなども販売されていて、美味しい上に美容と健康にも良いということで人気となっている。
石川県を代表する水産物の一つ「甘エビ」。しかしこの甘エビより甘く濃厚とされ、地元金沢で愛されているエビそれが「ガスエビ」。ガスエビは殻が茶色で見た目はそれほど良くありませんが「味は極上」と言われ、その種類もさまざまで、石川ではクロザコエビとトゲザコエビの2種類がある。しかし、なぜ甘エビは有名なのに、ガスエビはあまり知られていないのか。それは他のエビに比べ鮮度が落ちるのが非常に早く、流通させるのが難しい為。そのため、地元でも水揚げされた日しか出回らないことから「幻のエビ」と呼ばれている。
加賀毛針は、針にキジや孔雀の羽 漆、金箔、などが巻かれた用と美を兼ね備えた工芸品。藩政時代、武士が 鳥の羽を縫い針に巻いて釣りをしたのが始まりと言われている。江戸中期、加賀藩は百万石の規模があり江戸からは、油断をすると攻め込まれるかもしれないと危惧され監視されていたため武芸の鍛錬ができない状態だった。藩は武士の士気を低下させないため、心身鍛錬という目標を掲げ、「魚釣り」を命じた。魚を釣るには、忍耐力と集中力も必要になるので心身共に鍛える絶好の方法が、釣りと考えた。しかし、毎回餌を付け替えるのがとても面倒。付け替えなくて済む方法は無いかと考え、縫い針を折り曲げて羽を巻きつけた毛針が誕生した。
白山市美川地区は、良質な伏流水が数多く湧き出している。「伏流水」というのは、簡単にいうと川の下、地下を流れる地下水のこと。白山から流れる大量の雪解け水が、手取川の地下を通り、その扇状地に位置する美川地区で豊富に湧き出る。地下深くを流れる水は、100年以上の時間をかけてゆっくりと湧き出ているものもあるという。美川地区に自然に水が湧き出る場所は100箇所以上あるとも言われ、美川のまちなかにある「お台場の水」、安産と書いて「やすまる」と読む安産川沿いに湧く「安産銘水」、かつて蓮の花が一面に咲いていたという「蓮池の水」などの水汲み場がある。
能登半島の中央に位置する能登島。七尾湾の穏やかで透明度の高い海に、野生のイルカの家族が棲み着いている。2001年ごろから姿が見せていて、徐々に家族が増えて現在では十数頭が確認されている。運が良ければ海岸からでも観察できるほか、イルカウォッチングや一緒に泳ぐイルカスイムなども行われていて、能登島の名物となっている。このイルカたちはミナミハンドウイルカという種類で、本来はもっと南の、暖かい海に生息していて、冬に水温が下がる能登の海は、イルカにとってはちょっと寒いはずだが、能登島周辺は外敵が少なく餌の小魚が豊富で子育てなどにちょうど良かったので住み着いたのではと考えられている。
小松市は農業が盛んに行われている。野菜では特にトマトの生産が盛んで、北陸では小松市が最大の産地で年間約1500トンの生産量を誇っている。たっぷりと太陽の恵みを受けて丁寧に育てられた小松トマトは、ただ甘いだけではなく、果肉が柔く、程よい酸味と甘みのバランスの良いトマトになる。変わっているのが栽培方法でお米の「もみ殻」を使った栽培が主流となっている。地面に苗を植えるのではなく、もみ殻を入れた容器に植え、液体の肥料を与えて育てるそう。そのまま食べても美味しい小松トマトだが、料理やお菓子など様々な加工品としても、注目を集めています。中でも「小松トマト」を使ったカレーは特に人気がある。
ひがし茶屋街に隣接する町、観音町にある長谷山 観音院。名前の通り、観音様を祀ったお寺。ここで本日『四万六千日』の法要が行われる。この日は御本尊が御開帳され、参拝をすることが出来る。この日にお詣りをするとどれだけのご利益があるのかというと何と46,000日分のご利益があるといわれている。年数に直すと126年分、つまり一生分はご利益を得ることができる。そして、この日は観音町やひがし茶屋街で軒下にとうもろこしが吊るされているのを見かける。これは門守と呼ばれる風習で魔除けの効果があるものを軒先に飾って、家内安全を祈念するというもの。
自然の涼しさで癒されること間違いない石川の滝スポットの中から能登にあるものを二つご紹介。まず初めに紹介するのは中能登にある不動滝。元々の名前は「熊野滝」と呼ばれていたが、滝つぼの横に不動尊が安置されていて、滝手前の広場にも不動堂があることから、「不動滝」と呼ばれるようになった。もう一つは、輪島市にある、男女の滝と書いて「なめたき」。ここは県道38号線沿いにあり、車でアクセスしやすいスポットで、その名の通り、2本の滝が夫婦のように寄り添って流れ、やがて1本の滝になる。とても大きな滝だが比較的緩やかに水が流れていて、場所によっては滝滑りなどの水遊びをすることもできる
土用の丑の日は『う』のつくものを食べると縁起がいいと言うことで、「うなぎの蒲焼」を食べる風習が一般的。しかし、金沢周辺で食されている食べ物は、「どじょうの蒲焼」。全国的には「どじょう」はそこまでメジャーではないが、金沢では夏の名物として昔から親しまれている。串に刺したドジョウにタレをつけてしっかり焼くことで、頭から尻尾まで、骨もついたまま丸ごと食べることができる。カルシウムや鉄分などの栄養も豊富な、夏のスタミナ食。金沢で「どじょう」を食べるようになった由来には諸説あるが、始まりは明治初期の頃弾圧されていた長崎のキリシタンの人々が卯辰山まで流され、彼らが田んぼでも獲れる「どじょう」を蒲焼にして売り歩いたのが始まりと言われている。
金沢市の神宮寺にあるお寺「持明院」は、ハス寺と呼ばれ境内にあるハス池は、夏にたくさんのハスの花を見ることができる。ここにあるハスは普通のものとは違う。持明院には「妙蓮」という品種が生い茂っているが、実はこの品種、持明院を含め全国でも二箇所でしか目にすることができない。普通のものとどんな違いがあるかというと、一つの茎から複数の花が咲くということ。つぼみの時は普通のハスと同じで茎に一つのつぼみを付けるが、外側にある大きな花びらが散ると、中から2~8個の花が咲き、その後は花びらが2,000~5,000枚にもなり、最終的には自立できないほどのボリュームになるところが特徴。
七尾湾に浮かぶ、能登島。のどかな風景がひろがるこの島には、人気観光スポットの「のとじま水族館」もあるが、「ガラス」の観光スポットとしても有名。そんな能登島のガラス工芸の一つが、のと風鈴。能登島で作られる「のと風鈴」は、一般的な風鈴と比べると、ガラスを薄くやや縦長に伸ばして作られていて、音が遠くまで響くのが特徴。透明なガラスに、ピンクや緑、黄などの色が混ぜてあり、とっても涼しげな雰囲気。風受けの部分に、能登伝統の高級麻織物、「能登上布」を使ったものもある。
七尾湾は日本海側で最も大きい内湾で、寒流と暖流、二つの海流が交わるためたくさんの種類の魚介類が漁獲される。そんな七尾湾でもあまり採れない為、出回ることが少ない貴重な貝が、「赤西貝」。大きさが最大で15センチになるものもある巻貝で、地元漁師たちの中では「にし」と呼ばれている。身は名前のとおりの赤い色をしていてその鮮やかな色合いから「北陸の海のルビー」とも言われ、コリコリとした歯ごたえと、口いっぱいに広がる磯の香りが特徴で地元のお寿司やではこの貝を使うお店もあり、観光客にも人気のネタになっている。
7月1日は氷室の節句と呼ばれることもあり、金沢周辺ではこの日に「氷室まんじゅう」という酒饅頭を食べる文化がある。無病息災を願って食べられる縁起菓子で、見た目は丸い普通のおまんじゅう。氷室饅頭の「氷室」というのは、冷蔵庫なんてまだ無かった頃、冬の間にふり積もる雪を氷として使うために保存していた場所のこと。その貴重な氷は幕府への献上品で、暑くなるこの時期に持って行ったが、今とは違い当時の江戸への道のりは大変。道中の無事を祈ってお供えしていたものが市民に広がり、季節の習慣として残ったという説などがある。
北陸三県は大麦の生産が盛んな地域。主に栽培されているのは「六条大麦」で、県内では小松市が最大の生産地。「六条大麦」は麦茶や麦ご飯の原料として使われることが多い品種で、これまでは県外に出荷されることが多かったため、「ちょっと隠れた特産品」だったが、世界的にも有名なパティシエの一人も「石川県にこんな素晴らしい大麦があることが奇跡」と大絶賛。洋菓子の素材として使うことのなかった大麦を使用した「大麦バウム」の開発に成功。大麦を使用することでやわらかな食感になり、たちまち小松銘菓の一つになった。近年では「地産地消の食材」として、様々な加工品に使われるようになり、食パンやおまんじゅう、スープやハンバーグ、大麦を使った味噌もある。
金沢市花園八幡町にある「波自加彌神社」。ここは全国で唯一香辛料の神様を祀っている神社。この神社で6月15日におこなわれるのが「はじかみ大祭」。これは参拝した人の一年の無病息災を祈るというもの。変わっているのが奉納品、全国から集まった生姜や香辛料を使った商品が拝殿に並ぶ。この変わった祭り、始まりは奈良時代の出来事がきっかけ。当時日照りに見舞われていた時、今でいう知事にあたる人が雨乞いのため、波自加彌神社で祈願を続けておよそ一ヶ月が過ぎた頃、近くから水が湧き出てきた。人々は感謝し供え物をしようと思ったが、長く続いた日照りのため供えるものが見つからず、日照りでも自生していたショウガを供え物として献上した日が6月15日だったため、毎年この日に祭りが行われるようになった。
「吸坂飴」。あまり聞き慣れないこのお菓子は、加賀市の吸坂町で作られていることにちなんで名付けられた。吸坂町でおよそ360年にわたって伝わる飴で、昔から栄養補給や滋養強壮の食品として、子供からお年寄りまで広く親しまれてきた。江戸時代、大聖寺の城下町と温泉街をつなぐ道の途中にある吸坂町に茶店ができ、この飴が振る舞われたのが始まり。当時はメインストリートに27〜8軒の飴屋が立ち並ぶ旅人御用達のスポットで、飴を頬張りながら目的地へ向かう人もいたという。材料は米と麦のみで砂糖などの添加物を一切使ってないにもかかわらず、上質なキャラメルみたいな軽い舌触りと弾力のある食感が特徴。
日本人の心に打ち響く楽器として広く愛されている和太鼓。石川の伝統工芸の一つでもあり、特に口径3尺以上の大きな太鼓の全国シェアはおよそ70%を誇る。石川の太鼓造りの歴史は、江戸時代に加賀藩主が革細工の名人と言われた佐衛門五郎を金沢に招いたのが始まりと言われている。太鼓にも色々な種類があるが、代表的なものが長胴太鼓。木でできた胴に革が張られたという素朴な作りで、ぱっと見どれも似たような形をしているが、実は普段は見ることのない胴の内側に秘密があり、内側は空洞になっているだけではなく、木彫りで模様がつけられてるが、それによって音の響きが繊細に変化するところが職人の技の見せどころ。
白山市美川地区。この地域にある藤塚神社とその周辺で行われているのが「おかえり祭り」。これは江戸時代中期ごろから続くお祭りで、地域に根ざしたお祭り。まず藤塚神社から祭りの始まりの合図として「招集ラッパ」が鳴り響き、豪華絢爛な神輿、13台の台車、獅子舞やラッパ隊が共に町内を練り歩く。この時に注目して欲しいのが格好普通のお祭りのように法被姿ではなく、ラッパ手も、台車の引手も、神輿の担ぎ手も、紋付袴姿の凛々しい姿をしていること。2日目は夕方にお旅処から出発し、藤塚神社へと戻っていく。その時に通る道は「おかえり筋」と呼ばれ、このお祭りの名前の由来になっている。
珠洲市の仁江海岸。平らな岩場が広がり、夕日の綺麗な景勝地としても知られているが、古くから伝わる揚浜式の製塩で塩を作っている全国唯一の場所として有名。この揚浜式製塩は能登の伝統技術だが、とても手間のかかる製法。まず、海水を大量に汲み上げて砂浜に均等に撒き、8時間ほど乾燥させる。その砂を集めて更に海水をかけて塩分濃度の高い「かん水」を作り、更にかん水を計23時間以上じっくりと煮詰めて塩の結晶を取り出す。そこから4日間寝かせて「にがり」を取り除き、不純物を手作業で取り除き、ようやく揚浜式の塩は完成する。
白山市鶴来地区にある、標高およそ650メートルの高原、「獅子吼高原」。主に山麓の「パーク獅子吼」、山頂の「スカイ獅子吼」の二つに分かれており、ゴンドラで行き来することができる。「パーク獅子吼」ではゴンドラ乗り場のほか、「獅子吼」の名前に因んで、世界中の「獅子」を集めた「獅子ワールド館」や地元の「ほうらい祭り」で練り歩く大きな「造り物」を見ることができる「造り物の館」など、いろんな施設で楽しむことができる。「スカイ獅子吼」では広大な加賀平野と手取川の扇状地帯がパノラマのように展開し、アルプス連峰や日本海までも望むことができる景色が魅力。
加賀市大聖寺。ここには複数の寺社が集まっている「山ノ下寺院群」という通りがある。江戸時代、この地を治めていた大乗寺藩が有事に備え意識的に寺社を集めた場所。そんな通りで現在、「寺宝・庭園・御朱印めぐり」というイベントが開催されている。これは「山ノ下寺院群」にあるお寺の宝、寺宝や庭園を巡ったり、御朱印を集めたりするもの。期間中は日ごろ拝観できないお寺も拝観できるようになり、周辺ではライブや展示会などのイベントも行われる。
金沢は古くから金箔の生産がとても盛ん。現在でも市場に出回るほとんどの金箔は金沢で作られている。そんな金箔作りの副産物としてできあがったのがあぶらとり紙のルーツ「ふるや紙」。箔作りには薄く引き延ばす箔打ちという作業を行うが、その際に使われるのが「ふるや紙」の元となる「箔打ち紙」というもの。この紙が打たれることで繊維が細かくなり、瞬間的に皮脂が取れるよう変化する。これが江戸時代に京都の芸妓さんの間で評判となり「ふるや紙」と呼ばれ、高級化粧紙として広まった。
北前船はかつて大阪と北海道の間を往復していて、食料品や日用品などあらゆるものを運び、商売を行なっていた。経路の中間に位置する石川には「寄港地」がいくつかあるが、輪島市の門前町、黒島地区もその一つ。黒島地区は北前船の持ち主や船員の集落として栄えた地域で、黒い瓦屋根の家がいくつも並び高台からは、街並みと海が調和した美しい風景を見ることができる。重要文化財、「旧角海家住宅」は、代表的な黒島の建物の一つ。現在は一般開放されていて、中を見学することもでき、かつての繁栄ぶりを思わせる豪華な収蔵品が展示されている。
白山市の旧尾口村深瀬に伝わる工芸が「檜細工」。これは薄く削った板を編み込み、形を作っていくというもの。およそ400年前、旅の僧が旧尾口村深瀬を訪れた時に、農民たちに自らが被っていた笠を解いて作り方を指南したのが始まりといわれている。この技術が山仕事や農作業の時にかぶる笠として重要な産物にまで発展し,1988年には国指定の伝統的工芸品にも選ばれた。特徴は、ヒンナと呼ばれる檜を薄く細くした板材を使うこと。
2015年に小松市で開催された、第66回全国植樹祭いしかわ2015。全国植樹祭とは緑や森を守り育てることの大切さの普及、啓発のため、毎年都道府県持ち回りで開催されている、国の行事。そんな植樹祭を記念して整備されたウォーキングコースが、小松市の「植樹祭メモリアルライン」。ここは植樹祭のメイン会場だった木場潟、記念植樹会場の憩いの森、そして遊歩道「絆の森」を結ぶ全長12kmのコース。道路の交差点付近などには看板が設けてあり、安心してウオーキングできるようになっている。
能登半島の先端に位置する、珠洲市。ここでは4月にかけて海藻などが旬を迎える。そのため珠洲では海藻を使った料理が盛んに食べられており、箸に巻き付けて焼いたり、すき焼きに入れたり、天ぷらにしたりと、ユニークな食べ方も多い。その中でも特に人気な「海藻しゃぶしゃぶ」。これは、肉しゃぶしゃぶのように、海藻を出汁にくぐらせて食べるというもの。珠洲市内の旅館や割烹ではご当地グルメとして振舞われているそうで、具材はもずく、ぎばさ、アカモク、わかめなどといった珠洲で取れる海藻のみ。どれも入手困難な貴重なもの。
「弁当忘れても傘忘れるな」という言葉、雨が特に多い北陸特有の格言。都道府県別の、降水日数ランキングでも石川はトップで、2日に1回は雨が降っている計算になる。雨が多い石川ならではのものが「金沢和傘」。
雨が多いだけでなく、水分量の多い重い雪も多く降るため、その重さに耐えられるように丈夫に作られている。傘のてっぺんである天井部分には和紙が四重に貼られており、これは他の地域の和傘にはみられない特徴。
登町の山間に「春蘭の里」と呼ばれているスポットがある。ここには47軒もの民宿が集まっており、それぞれの宿ごとに1日1組限定で宿泊することができる。「本物の日本文化」を体験できる場所として話題になり、年間訪問者は1万人以上の人気観光スポット。春蘭の里は、ただ宿泊できるだけでなく、伝統的な日本家屋で、里山里海の、地元の旬の味満載の食事を楽しめるのはもちろん、季節によっては田植えやキノコ採りの体験プログラム、いろりを囲みながらの宿主との交流などここでしか体験できないプログラムが多数用意されている。
野々市市本町、旧北国街道通り沿いに立つ、国指定の重要文化財が「喜多家住宅」。通りに面した間口はおよそ13.5メートル。洗練されたデザインの格子窓、格調高い囲炉裏など、そのまま時代劇に出てきそうな雰囲気のあるお屋敷。喜多家はもともと越前の武士がルーツで、江戸時代初期に野々市に移住し、灯油の販売などを行っていた。しかし、1891年に大火事が起こり、一度は建物も焼失。再建にあたって、金沢の城下町にあった醤油屋の建物を移築した。また、現在は野々市市が管理しており、建物に入って見学することもできる。
「ひな祭り」といえば女の子をお祝いするためのお祭り。ひな祭りには金沢では、独自のルールがある。一つは人形をしまう時期。雛人形は「終わったらすぐにしまわないと婚期が遅くなる」という言い伝えから祭りが終わるとすぐに片付けるのが一般的ですが金沢は4月3日まで飾る家が多い。その理由については諸説あるが、一部では3月3日は前田利家公の命日であることからお祝いの日をずらしているとも言われている。そして、もうひとつは「金花糖」というお菓子を供える風習。これは熱した砂糖を型に流し込み、鮮やかな色彩を施した雛菓子でタイ、アワビ、アケビ、桃など海と山の産物をかたどっており、古くから伝わる金沢独自のお菓子。
宝達志水町といえばルビーロマンなどのフルーツやオムライス、宝達山など、いろんな魅力があるが、毎年1月から厳冬にかけ生産される特産品が「宝達葛」。「葛」とはマメ科のツル性植物のことで、根っこに含まれるデンプンには滋養強壮や解熱、高血圧に効果があるといわれ、「葛根」と言われる。その葛根からデンプンを採取し、精製したものが「宝達葛」。かつて宝達山が金鉱山だったころ、過酷な作業に従事する鉱山労働者の疲労回復などに使うため、自生するクズの根を掘り漢方薬として使われたのが始まり。その歴史はおよそ450年以上とされているが、今では地元有志が共同で生産するのみの希少な特産品となっている。
石川県は、天然フグの水揚げ量が全国で一番。能登近海でマフグ、ゴマフグ、トラフグなどの天然フグが水揚げされ、その中でも輪島市は全国の市町村でトップの漁獲量を誇り、輪島の港で獲れたものを「輪島フグ」と呼ぶ。市ではフグ料理が楽しめるお店の紹介や、学生が考案したおいしいレシピの公開など様々な情報発信をおこなっている。また、石川でフグといえば、白山市や金沢市で作られる「フグの子ぬか漬け」も県内外で有名。猛毒が含まれているフグの卵巣を、数年間糠漬けにすることで毒がなくなり食べることができるようになるという、幻の珍味。
疫病から人々を守る妖怪で、SNSなどではちょっとした話題となっている「アマビエ」のように、話題となっている石川県の妖怪はその名も「ヨゲンノトリ」。姿は黒色の体に白と黒の二つの頭を待つ鳥の妖怪で、朝と夕方に拝むと疫病払いのご利益があると言われている。江戸時代、石川に現れたヨゲンノトリはある役人に「来年、人間の9割が死んでしまうような災難が起こる」といい「私の姿を朝夕に拝めば難を逃れることができる」と言ったそう。その翌年に日本にコレラが上陸し、瞬く間に全土に広がった。役人はヨゲンノトリの言葉を思い出し、藁にもすがる思いで念仏を行なった。するとその甲斐あってか徐々に収束していったと言われている。
珠洲市・輪島市・穴水町・能登町の2市2町で生産されている、原木シイタケ「のと115」。その中でもとても大きく育った、最高級のしいたけが「のとてまり」。「のとてまり」を名乗るには厳しい基準があり、大きさだけではなく、
キノコの「かさ」の巻き込み具合、整った丸い形をしているか、などの基準をクリアする必要がある。「のとてまり」の出荷が始まったのは2011年。古くから里山ではしいたけの栽培が行われていて、干し椎茸は特産の一つだったが外国産のものが多く入ってくるようになると生産量は激減。このままではいけないと、しいたけ産業復活のために地元農家の根気強い研究の末に誕生したのが「のとてまり」。
白山市で800年以上も前から作られている伝統的な織物が牛首紬。牛首、という名前は生産地、白峰の古い地名牛首村から来ている。紬、というのは絹織物の一種のことで、白山地区で作られ、伝統的な製法で作られたものを牛首紬と認定している。1988年には国指定の伝統的工芸品にも選ばれた。紬の原料は蚕のまゆ。その中でも1つのまゆの中に2匹の蚕が入ったものを「玉繭」と呼ぶが、牛首紬ではこれを横糸に使っている。2匹分の糸が絡み合うため、普通の方法では使うことができないが、職人の熟練の技により上手く引き出して作られ、これにより独特の風合いになるだけではなくとても丈夫な織物になる。
和倉温泉の一角に佇む小さなお寺「青林寺」。観光スポットとしてはあまり知られていないお寺かもしれませんが、実は境内にとても珍しい建物がある。それが、日本でたった2つしか現存していない「御便殿」。明治時代、天皇や皇族が地方に出かけた際の休憩場所として設置された建物のことで、臨時で使うことが目的のため、利用後はすぐに取り壊されるのが普通なのですが、和倉温泉では壊されずに今も残っている。建物は大きく設えられた窓枠が特徴で自然豊かなお寺と庭を一望することができる。そして、現在毎週土曜日限定で、日暮れとともにライトアップが行われ、庭と御便殿は、赤や緑、青色などにゆっくりと色を変え、日中の清んだ雰囲気とは打って変わった幻想的な風景を楽しめる。